明治生命館

国指定重要文化財

所在地 東京都千代田区丸の内
竣工 1934年(昭和9年)
設計 岡田信一郎(意匠)
内藤多仲(構造)






立ち並ぶギリシャ風の列柱
重厚な石貼りの壁面
日本における新古典主義建築の
真打といっても過言ではないでしょう。

今を去る70年以上前
1934年に完成したこの建物
建築家 岡田信一郎がデザインを担当し
構造技師 内藤多仲(たちゅう)が構造を設計しました。

岡田信一郎は戦前に活躍した建築家で
「様式主義の鬼才」とも言われた人です。
さまざまな建築様式を自分のものにし
完成度の高い建築を設計した人です。
病弱で海外留学は叶いませんでしたが
苦学して様々な様式を学んだと言われています。
1932年、建物の完成をみることなく
48歳の若さで亡くなりました。
この明治生命館は彼の遺作であり、代表作でもあります。

内藤多仲は戦前・戦後にかけて活躍した人で
日本を代表する建築構造学の巨匠です。
「耐震構造理論」を考案し
現代の耐震構造の基礎を確立した人です。
東京タワー、通天閣、名古屋テレビ塔など
全国の名だたる巨大鉄塔を設計し
「耐震構造の父」とも言われました。
まさに和製エッフェルといった感じです。

「様式主義の鬼才」と「耐震構造の父」
この2人の巨匠によって
明治生命館は設計されました。





全体はギリシャ神殿のような荘厳なスタイルになっています。
「新古典主義」と呼ばれる流れの中でも
特に「ギリシャ復興様式」と呼ばれる様式です。

新古典主義は、18世紀後半から19世紀にかけて
ヨーロッパで流行した様式で
古代ギリシャ・ローマを規範とした
古代風のスタイルが特徴です。

さらに19世紀にはアメリカでも流行し
20世紀初めには日本にも入ってきました。
しかし、1930年代にはモダニズムなどが登場し
新古典主義は衰退していました。
日本における新古典主義最後の時代
その時代に登場した名作が明治生命館でした。





この建物の最大の見所は
ずらりと並んだギリシャ風の列柱です。
すべて花崗岩でできています。





柱頭部分はこんな感じになってます。
葉っぱがたくさん重なっていて、一番上には花も咲いています。
古代ギリシャ時代から用いられてきた
「コリント式」と呼ばれる様式です。
16本あるすべての柱にこのような彫刻が施されています。
恐ろしく手のかかった建築です。







中に入ってみましょう。



内部は外観以上に豪華絢爛
壁はすべて大理石です。
いたるところに彫刻が施されています。





この模様・・・
なんだかラーメンの丼ぶりにありそうですよね。
これは「ギリシャ雷紋」とか「グレコ・パターン」と呼ばれる紋様です。
古代ギリシャのオリンポス信仰の主神
雷神ゼウスの持つ雷をモチーフにした紋様で
古代ギリシャ建築の伝統的パターンです。
細かいところまで忠実にデザインされているあたり
岡田信一郎の情熱が感じられます。



さて、1934年に完成したこの建物
3年と7か月もの大工事の末に完成しました。
その後の太平洋戦争でも空襲を免れ
当時の生き残った大建築の多くがそうであったように
終戦後はGHQに接収されました。
ここには極東空軍司令部が置かれていました。



   

館内には大小多くの部屋があり
占領統治の時代には多くの重要な会議が
この建物で行われました。



   

一番広い第一会議室です。
1946年には、この部屋で第一回対日理事会が開かれました。
美しい建物は、複雑な歴史も秘めていました。







そしていよいよ、この建物のなかでも
最も豪華な空間が現れます。





それがこの1階の店頭営業室です。
吹き抜けの高い天井
巨大な柱、壁などすべて大理石です。





これほど豪華な空間は他ではなかなか見られません。
まさに宮殿のような異空間です。





この特徴的なデザインの天井
幾何学的な格子状になってます。
このような格子天井は古代ローマ建築に特徴的な要素です。
もちろん全て大理石です。
真中に咲いてる大理石の花は
1輪100万円するそうです・・・ おそるべし・・・



かつて丸の内には
この明治生命館のようなとてつもなく豪華なビルが
いくつも立ち並んでいました。
いずれも戦前の財閥の時代に建てられたものです。

その多くは1960年代から70年代に解体され
現存するのはこの明治生命館を含め、ほんのわずかです。
戦後の高度経済成長によって拡大したオフィス需要の中では
このような大空間をぜいたくに使った容積率の悪い建物よりも
より効率的な建物が求められたためでしょう。

現在の東京都の条例では、この明治生命館も
基準容積率に満たない建築です。
明治生命館の場合は特例として
他のビルに容積率を振り替えることで解体を免れました。
今明治生命館の後ろには巨大なガラス張りのビルが立っていますが
このビルはこんな必要から建てられたものです。
こうでもしないと保存ができないなんて
僕はなんか悲しい気がします・・・

かつてはこんな建物が
東京駅周辺には何棟もあったのです。
石造りの巨大なビルが並んだ丸の内は
かつて「一丁倫敦(ロンドン)」とも呼ばれたほどでした。



かつての大繁栄の夢の跡
重要文化財 明治生命館でした。



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2008.4.20

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