ニュースカイビル

(旧第3スカイビル)





渡邊洋治設計「ニュースカイビル」、別名「軍艦マンション」
まさしく軍艦の名にふさわしい姿をしたこの建築ですが
この作品の重要な特徴はそれだけではありません。
注目すべきは各部屋の構成です。

上の写真の下の方、居住室の部分にご注目。
何だかコンテナのような箱がたくさん積み重なっているのがわかります。
このコンテナひとつが「一戸」です。
このマンションはこうしたコンテナ状の「ユニット」の集合体なのです。
全体で150コものユニットが細い本体の左右にくっつき
「軍艦マンション」を形成しています。
この「ユニット」という発想が重要なポイント。





このユニット型マンションのルーツは、彼の師の師にまで遡ります。
渡邊洋治の師にあたるのが、先述の建築家吉阪隆正です。
彼もまた渡邊洋治に負けず劣らず特徴的な作風で
日本の「ブルータリズム建築」の騎手となった存在です。
その吉阪隆正の師に当たるのが、20世紀最大の建築家と言われる
ル・コルビュジエ(Le Corbusier 1887〜1965)その人です。
吉阪は戦後フランスに渡り、ル・コルビュジエに師事した日本人の一人です。

したがって異端児渡邊洋治は、実はル・コルビュジエの孫弟子
モダニズム建築の正統中の正統ともいえる系譜の持ち主なのです。
それでは、渡邊洋治はこの正統の系譜の中に
突如として現れた異端児でしかなかったのか。
・・・いえいえ、渡邊洋治はむしろ自分の系譜を強く意識し
自ら「ル・コルビュジエの後継者」として、ル・コルビュジエの理念を
このマンションで実現してみせたのです。

このマンションを設計した時、渡邊洋治はこう周囲に語っていたそうです。
「俺はついに、ル・コルビュジエを超えた。」と…
一体渡邊洋治はこのマンションに、何を込めたのでしょうか。





すべてのルーツは、ル・コルビュジエのあの有名な言葉です。

  「家は住むための機械である。」

20世紀の建築の姿を決定付けたともいえるこの言葉を巡って
ル・コルビュジエ自身はもちろん、世界中の建築家たちが
「現代建築」のあるべき姿を提案していきました。

第二次世界大戦後まもなく
ル・コルビュジエは巨大集合住宅のプロジェクトを手掛けることになります。
戦前の彼の住宅建築は郊外の一戸建てが中心でした。
しかしル・コルビュジエの心はあくまで都市にありました。
都市という空間の中で、人はいかに生きるべきか。
その「都市の中の住居」の答えとして出されたのが
彼の高層集合住宅シリーズ「ユニテ・ダビタシオン」です。





Unite d'Habitation
ずばり、「住居の集合体」と名付けられたこの巨大マンション。
(写真:ユニテ・ダビタシオン・マルセイユ(1952) wikipediaより)
彼は都市における集合住宅の答えとして
巨大な直方体の中に大量の部屋をユニットとして組み込む、という方法を提案しました。
彼自身の言葉を借りれば・・・
「ワインの瓶をボトルラックに差し込んだような」姿のこのマンション。
シリーズ中最大の作品「ユニテ・ダビタシオン・ベルリン」には
ひとつの建物の中に、500戸以上の住居がユニットとして組み込まれています。
ル・コルビュジエが「垂直の田園都市」と呼んだこのマンション。
その姿はさながらひとつの都市そのものです。





上のモンタージュ写真はル・コルビュジエ自身が示した
「ユニテ・ダビタシオンの建設の発想」です。
「ワインの瓶をボトルラックに差し込んだような」ってのはこういうことですね。
(個人的な意見ですが、ル・コルビュジエという建築家がこのように
 「ダダ」や「新即物主義」などにも見られた写真のモンタージュという手法で
 自分の理念を表したという点は、文化史的にもメディア史的にも
 非常に興味深い事実であると思います。ハイ。)

このユニテ・ダビタシオンで提示された
「ユニットの集合体としての都市集合住宅」というあり方は
世界中に大きな影響を与えました。
それが特に顕著だったのが日本です。
戦後急速に都市化が進んだ日本では
多くの建築家が日本の都市住宅を提案していきました。





渡邊洋治も「ユニット」に注目した建築家のひとり。
規格化されたユニットを大量生産すれば
世界のどこでも効率的に高層住宅が建設できる。
急速に発展する都市のスピードに合った、建設効率を重視した高層マンション
そのプロトタイプがこのニュースカイビルだったのです。
これによって渡邊洋治は彼なりに
究極的な「都市の高層住宅」を完成させたのです。
この点でまさに渡邊洋治は、ル・コルビュジエを継承しつつ
「ル・コルビュジエを超えた」といえるのでしょう。

ちなみに、この「ユニット型マンション」という発想を
さらに極端に、ラディカルに発展させたのが
あの黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」です。
こちらはユニットをさらにコンパクトにまとめ
人間の生活に必要最小限の「カプセル」にまで発展させ(てしまい)ました。
黒川紀章もまたル・コルビュジエの「ひ孫弟子」に当たる人であり
渡邊洋治と同じように、ル・コルビュジエを強く意識していました。





とは言うものの・・・
実際にはこういう機械論的アプローチの集合住宅は
あんまり成功しなかったんですね・・・
だって・・・街中のどのマンション見てもこんなじゃありませんもんね・・・
ル・コルビュジエの理論を極端に推し進めていった結果
「進化の袋小路」に入り込んでいってしまったんですね。

似たような例が恐竜時代の生物「アンモナイト」。
アンモナイトは非常に高度で専門的な進化を遂げた結果
環境の変化についていけずに絶滅してしまったとされています。
1970年代には日本の都市化も一段落し
豊かになった人々は生活の場を郊外に求めていきます。
「ドーナツ化現象」が「都市の集合住宅」を絶滅に追いやったのか・・・





「時代は変わってしまった」・・・
ル・コルビュジエが描き、丹下健三が夢見た超現代都市計画の時代は過ぎ去り
家には「住むための機械」以上のものが求められるようになり・・・
このマンションは今では完全に時代錯誤といえる作品になってしまいましたが
それでも、日本のモダニズム建築が歩んできた道のりの証人として
このマンションには大きな意味があると思います。
DOCOMOMOにも何にも登録されてないのが残念ですが・・・

仮にもし日本でその後もずーっと高度な都市化が進展していたら・・・
(これ以上進展する余地があるのか怪しいですが・・・)
こんなマンションが日本中にウジャウジャ出来てたんでしょうかね・・・
・・・そりゃまた何とも素敵だなぁ・・・





「異端の建築家」の狂気の名作は
日本の現代建築が歩んできた道のりのマイルストーンだったのです。
「軍艦マンション」ニュースカイビルでした。



前のページに戻る

写真一覧のページ

2009.7.23

一覧に戻る
地域別一覧に戻る
時代別一覧に戻る

inserted by FC2 system