大阪中央郵便局





モダニスト吉田鉄郎が全精力をかけて設計したであろう
この大阪中央郵便局。
「日本のモダニズムの命運はこの建築にかかっている」
ともいえる状況の中で、吉田鉄郎は東京中央郵便局をも超えた
すさまじい完成度を誇るこの建築を作り上げたのです。



   

左が東京中央郵便局(1931)
右が大阪中央郵便局(1939)です。
こうして比べてみると、この姉妹はホントによく似ていますが
8年間の間により洗練された造形になっています。
柱と梁の太さや造形などは共通ですが
大阪の方が、東京よりも窓が大きく、より軽快な印象を与えます。
さらに、東京中央郵便局に見られた、最上階をセットバックさせる表現も省略され
その代り「窓のエンタシス」の表現がより極端なものになっています。
(右の大阪中央郵便局の写真の一階部分にご注目。
 一階の天井が信号機よりも高い位置にあるんですよね・・・)



     
     

お〜っとここでついに「無言の箱」にCGが登場だ〜!!
(CGってほどのCGでもないけど・・・)
左は上から下まで全部同じ大きさの窓の場合
一方右は吉田鉄郎の「窓のエンタシス」の概念図です。
下から見上げるとあら不思議、同じ高さなのに右の建物の方が大きく感じませんか・・・?
これが吉田鉄郎の十八番、「窓のエンタシス」です。
「遠くは小さく見える」という遠近法を逆手にとって
実物以上に建物を大きく見せる手法です。



   

この大阪中央郵便局は吉田鉄郎の作品の中でも
もっとも強烈な窓のエンタシスが効かせてあります。
1階部分の窓の高さは小さな窓5マス分。
普通の建築と比べても、かなり高い天井です(信号機よりも高い)。
それが2階と3階では高さが4マスになり
4階では3マス、さらに5階ではついに2マスと
1階部分の半分以下の高さにまでなっています。
写真で見てみると、最上階の窓が上から押しつぶされたように
極端に小さくなっているのがわかります。
下から見上げると、非常に迫力があります。
上の方の窓なんか、ほとんど見えないくらいの劇的な効果です。





そしてこの徹底的に規格化されたパターン的なデザイン。
柱と梁と窓という最小限の要素だけで構成された
ある意味息が詰まるほどにカチッとしたモダニズム建築です。
こういう「規格化」を重視した造形は、ドイツ系モダニズムの特徴です。

東京中央郵便局のページでも書きましたが
吉田はドイツのモダン・ムーヴメントに強い影響を受けていました。
モダニズムと一口に言っても、細かく見るといろいろな潮流があって
戦前の日本のモダニズムで二大勢力を形成したのは
徹底した規格化によって合理性を追求したドイツ系モダニズム
より自由で機能的な造形・空間構成を重視したフランス系モダニズムでした。

吉田鉄郎はドイツ系モダニズムの中心人物。山田守や堀口捨己もドイツ系と言われます。
一方のフランス系には前川國男坂倉準三丹下健三などがいました。
ル・コルビュジエを熱狂的に支持した「コルビュシャン」と呼ばれた人達です。
この両派は結構お互いをライバル視していて、丹下健三は山田守の作品を
「あんなのは衛生陶器(トイレの便器)だ」と批判したこともあります。





ドイツ系モダニズムが重視したのは、徹底した規格化です。
無駄を省き、徹底的に規格化された部材の組み合わせが
合理的な建築を生み出すという発想です。
建築をひとつの工業製品とみなし、これをいかに効率よく大量生産するか。
これがドイツ系モダニズムのテーゼであり、バウハウスやその他のドイツの工業デザイン
さらにはあの「国民車」フォルクスワーゲン・ビートルにまで通じる哲学なのです。

この大阪中央郵便局も、まさに「規格化」に基づく「大量生産」の建築です。
一度窓の大きさや柱の太さなどをキッチリ決めてしまえば
後はこれをひたすら「コピペ」するだけ・・・
フランス派から見れば、こういう無味乾燥な造形が
「衛生陶器」に思えたのかもしれません。



   

ドイツ系モダニズムの流れをくむこの大阪中央郵便局
もちろん徹底的に「規格化」されています。それも恐ろしいレベルで・・・
注目すべきはこの柱のタイル。柱の太さはきっちりタイル5枚分になっています。
でも、よく考えると、単純に「タイルの幅×5」ではタイル5枚は張れませんよね。
なぜって、タイルの目地の幅があるからです。
そこで吉田鉄郎は、タイルの目地の幅まで計算に入れて
柱の幅を決めた、もしくはタイルを特注した・・・ということになります。
どう見ても柱の幅はタイルきっちり5枚分です。
はじっこを削って合わせているというようなごまかしは見当たりません。

それを裏付けるのが、柱の角の部分のタイル。
このタイル、最初から立体的なL字型に焼かれています
角の部分に目地が来ないで、きれいにタイルの面が来ています。
レンガだったらこうやるのは簡単ですよね。
でもこれは、コンクリートの柱の表面にタイルを張っているわけですから
それでこんなにきれいに見せるっているのは、ものすごい巧妙な計算があるわけです。
今なら機械の大量生産で簡単にできるのでしょうが、当時はまた状況が違ったはず。
一見何の変哲もないけど、よく見るととんでもないディテール・・・
まさに「神は細部に宿る」というドイツ派の理念を体現した存在です。





柱の太さがタイルの幅を基準として決まっているわけですから
当然その他の部分もすべてタイル一枚の幅を基準に寸法が決まっています。
この巨大な建築が、どこを切り取ってみても小さなタイル一枚の大きさを基準として
徹底的に規格化されている・・・寸分の狂いもなく・・・
この建築、普通の人が見ても別に何とも思わないかもしれません。
ですが、実際には細かい部分まで徹底的に規格化された驚異的な建築なのです。
息が詰まるほど「完璧」を目指した建築です。

余談ですが、こいつを設計した吉田鉄郎は
半ば病的な潔癖症だったそうです。
ドアノブには決して素手で触れず、常に消毒液を持ち歩いていたとか・・・
その吉田の病的なまでに神経質な性格が
ここまで徹底的に「完璧」を追求した建築を生んだのかもしれません。





東京中央郵便局の成功でモダニズムの方向性を確信した吉田は
この大阪中央郵便局で、さらに「完璧」なモダニズム建築を目指しました。
左の写真は階段室。上から下まで全面ガラス張りになっています。
これこそ、モダニズムの究極の表現「カーテンウォール」
壁を重力から完全に開放し、柱と床板だけで建築の重量を支え
壁を全面ガラス張りにするというモダニズムの象徴ともいえる表現です。
東京中央郵便局では、吉田はカーテンウォールを用いませんでしたが
ここではついにカーテンウォールにまで手を出しています。





こちらは1階内部の写真。
大きな窓から光が降り注ぐ明るい空間です。
そして「窓のエンタシス」のために、天井がかなり高いです。
(その代り5階のオフィスは天井が低いんだろうなぁ・・・)





窓の横の柱には何やら気になるハンドルが・・・
ハンドルからは上にシャフトが伸びています。
シャフトはさらにアームのような部品とつながっていて、アームの先には窓があります。
そう、これは「窓を開けるための装置」です。
下のハンドルをグルグルと回すと、シャフトが回転を伝え
アームが動いて窓を押しあける・・・という何ともメカニカルな仕組み。
さらに窓は一面分すべてが連動するようになっていて
ハンドルを回すと高さ4メートルはあろうかという窓が一斉にゆっくりと開きます。
この巨大な窓が開く様は壮観でしょうね〜(勝手に窓を開けてはいけません)
まさに建築というより「工業製品」といった感じです。
今や世界遺産となっている、グロピウスの「バウハウス・デッサウ」(1926)にも
こういう機械的な窓の開閉装置が備え付けられているそうです。





吉田鉄郎がその情熱のすべてを注いで
「完璧なモダニズム」を目指して建設された、大阪中央郵便局。
ここまで見てきたように、ホントに限りなく「完璧」に近いんです。
ただ一点、吉田にはどうにもならない不可抗力を除いて・・・

吉田にもどうにもならない不可抗力
それが、このタイルの色です。
この灰色のタイル、吉田が意図したものではありませんでした。
ホントは東京中央郵便局と同じ、真っ白なタイルが張りたかったのです。
このタイルが真っ白だったなら、吉田が思い描いた「完璧なモダニズム」が
実際に実現していたことでしょう。
でも、これだけはどうにもならなかったのです・・・

この灰色、その名も「防空色」といいます。
時代は第二次世界大戦前夜、当時日本はすでに日中戦争の真っ最中。
そして来るべき太平洋戦争・・・戦争という世界史の大局の前に
一人の建築家でしかない吉田は無力でした。
白い建物は上空からもよく目立ち、爆撃の対象になりやすいのです。
そこでこの時代の建築には、このような目立ちにくい
「防空色」のタイルが使われたのです。
そのほかにも、白い石張りの建築には薄墨が塗られるなどの対策が取られました。
戦時中の国会議事堂の写真を見ると黒くくすんでいますが
国会議事堂にも当時、薄墨が塗られていました。





でも、なぜ吉田鉄郎はそこまで「白」にこだわったのか・・・
そのヒントがこれ、窓の下に付いている小さな庇(ひさし)です。
この庇も、恐るべきディテールのタイル割になっていますが・・・
機能上、これは必ずしも必要なものというわけでもありません。
では、この庇は一体何のためにあるのか・・・
こんなにも完璧を追求する吉田鉄郎が、無駄なものを付けるとも思えません。
この庇の意味、離れて見て初めて気付きました。





これだ、彼が求めたのは・・・
お分かりですか? 庇が生み出すもの・・・
・・・影です
窓の下の突き出た庇の下に、影ができています。
この影が、梁の存在感をグッと強調しているのです。
そう考えると、この建築の造形はすべて説明がつきます。
柱と梁が同一平面上にないのは、柱の影を梁の上に落して
柱の存在感をグッと強めるため。
そして梁の上の庇で小さな影を作って梁の存在感を出し
(これがないと窓の中に梁が埋没してしまいます)
そしていちばん上にある大きな庇で大きな影を作り
建物全体の輪郭線をはっきりと生み出しています。
・・・吉田は遠近法を操り、さらに光と影を自在に操り
これ以上ない究極の「無言の箱」を作ろうとしたのです。

もしこれが白いタイルだったなら・・・
ホントにはっきりとした陰影が出て
それこそ吉田鉄郎が思い描いた通りの出来になっていたことでしょう。
吉田鉄郎が巧妙に仕組んだ視覚のトリックの最後の仕上げ
ホントにあと一歩のところだったのに・・・
・・・吉田鉄郎はさぞ悔しかったでしょう・・・





この大阪中央郵便局も、東京の姉と同じ運命をたどることになりそうです。
5月7日でこの建物は閉鎖され、解体される予定になっています。
(だから何としても見に行きたかったんです)
やっぱり駅前の一等地をドーンと陣取っていると・・・狙われやすいんですね・・・
・・・こんなにものすごい建築なのに・・・

解体直前のギリギリの出会いでしたが
それでもこいつを生で見れてホントによかった・・・
そして、改めて畏敬の念みたいなものを感じました。
戦前の日本のモダニズムは
こんなレベルにまで到達していたんですね・・・

「秀才」吉田鉄郎が目指した「完璧なモダニズム」
大阪中央郵便局でした。



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2009.4.2

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