旧日本相互銀行本店

第4回日本建築学会賞
日本におけるDOCOMOMO100選

現存せず

所在地 東京都中央区八重洲
竣工 1952年(昭和27年)
解体 2008年(平成20年)
設計 前川國男



この建物は残念なことに現存しないのですが
モダニスト前川國男を考える上で外せない建物だと思うので
記念に紹介したいと思います。





旧日本相互銀行本店


終戦から7年目の東京に現れた
戦後日本のオフィスビルのプロトタイプと言われた作品です。
設立間もない日本建築学会賞を受賞し
DOCOMOMO100選にも登録されていた名作でした。
2008年はじめに惜しくも解体されてしまいました。

ちなみに上の写真は2006年3月
高校2年の春休みの時に撮影したものです。



   

左が2006年3月の写真
右が2007年4月の写真です。
1年ちょっとの間に左側の空き地に超高層ビルができました。
東京駅八重洲口から歩いてすぐという便利な土地にあったので
やはり再開発の中でこのビルも消えてしまいました・・・





前川國男邸の記事でも少し書きましたが
前川國男はフランスのル・コルビュジエに師事した
日本を代表するモダニズム建築家でした。
戦前、まだ様式主義が大きな影響力を持っていた時代から
前川先生は多くのコンペに革新的なモダニズムの案を応募し
ことごとく落選しては旧体制的な建築界を批判する文章を発表していました。

特によく知られているのが、「東京帝室博物館(現東京国立博物館)コンペ」と
その落選の際に発表した「負ければ賊軍」という文章です。
このコンペ(設計競技)では、前川先生は応募要件を完全に無視し
コンペとは関係ない上野公園まで作り変えるというぶっ飛んだ案を提案しました。
結果は当然落選・・・
その際に当時の建築雑誌に投稿したのが檄文「負ければ賊軍」でした。



  負ければ賊軍と云ふ。
  我が敵に對しては最後の捨身の體當りの闘志は
  未だ旺なる事乍ら國際建築の讀者層に對して
  今更泣言を並ぶる事も
  斬り死にした私の計畫の説明をなす事も
  餘りに口惜しく思ってならぬ。
        (中略)
  執務に縛られた此等の建築家にとつて
  設計競技は今日の處唯一の壇場であり
  時には邪道建築に對する唯一の戰場である筈なれど、
  そこに名状し難き幾多の困難のある事を
  認めぬ譯には行かぬ。

前川國男「負ければ賊軍」(部分)
『国際建築』1931年6月号



旧仮名遣いでちょっとわかりにくいですが
(旧字体を探すのにすさまじい労力を要した・・・)
こういうちょっとヒロイズムの入った文章を発表していったわけです。
「邪道建築」とはまた厳しいことを・・・

何度コンペに落選しても屈することなく起き上がり
日本建築界のアカデミズムを辛辣に批判しては
懲りずにぶっ飛んだ案を応募してまた落選し・・・
そういう前川先生の姿の中に、当時の若い建築家たちは
「日本のル・コルビュジエ」を見たのでした。
やがて前川先生は「賊軍の将」としてその名をあげていきます。





そして戦後、ついにモダニズムに光が当たる時代がやってきました。
戦前ほとんど活躍がなかったモダニズム建築家たちが
続々とレベルの高い名作を作りあげ
日本は世界の建築界と肩を並べるようになりました。
その時代に前川先生が設計したのが、旧日本相互銀行本店でした。





このビルで特徴的なのが、このカーテンウォールです。
まだ終戦から7年しかたっていない頃でしたから
当時の人々には相当目新しく映ったことでしょう。
大きな窓は固定式、その横の上下に分かれた小さな窓が可動式という
機能主義建築で多く使われる「シカゴ窓」というタイプです。
可動窓が列ごとに互い違いになっていて
独特のリズミカルな表情を演出しています。
窓の下のパネル部分は薄いコンクリート製です。
当時の最新技術が使われていました。





ちなみに、このビルの窓の下のパネルには
建築家の職業倫理を考える上で外せない
ある有名な逸話があります。

完成して間もない頃、このビルは雨漏りがひどいという話が
前川先生の耳に入りました。
ある雨の日の朝、前川先生は社員が出社するより早くこのビルを訪れ
パネルの目地に問題があることを突き止めました。
そして、当時の金額で340万円の工事費を自己負担して
目地を全部補修したのでした。
当時の340万円と言ったら、すさまじい金額だったはずです。
「建築家は自分の作品に責任を持つ」という前川先生の信条を表す逸話です。
 (参考文献:宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』晶文社(2005))





その前川先生がポケットマネーで補修したパネルも
当時の人々を驚かせたガラス張りのカーテンウォールも
今はもう見ることはできません。
どんなに建築家が心血を注いだ名作でも
解体されるときは一瞬で消えてしまうものです。
それも建築の宿命なのかもしれません・・・
でも、できれば残してほしかった・・・



2008.7.30

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