東京都庁 第一本庁舎





建築家 ル・コルビュジエにあこがれ
モダニズムの建築家としてスタートした丹下先生ですが
やがて、丹下先生の作風は大きく変化していきます。
丹下先生のこんな言葉があります。
(このサイトの名前の由来だったりします)



 「近代建築はその基本のかたちを1920年代につくり出した。
  ミースやル・コルビュジエなど光り輝く芸術にまで晶化した例外を除けば
  すべて 無言の箱 であった。
  東京に建つ超高層ビルも殆どがだまって建っている箱である。
  これらが将来の東京のスカイ・ラインをつくってしまうかと思うと、
  これではいけないのではないか。」

― 東京都庁のコンセプトについて、丹下健三



この文章、それまでの機能一辺倒のモダニズムに対する
丹下先生の決別の気持ちが表れていると思います。
それでもミースやル・コルビュジエを「光り輝く芸術」と讃えるなんて
そういうスタンス、カッコイイですよね〜
若き日の『MICHELANGELO頌』といい、やっぱり丹下先生は
本当に根っからの「コルビュシャン」なんですね・・・

機能性を追求し、ムダを切り捨ててきた近代建築の歴史
その中で、何か大切なものまで捨ててしまったのではないか・・・
「近代」が失ってしまったもの
それは、何だったのでしょうか・・・





1980年代になると、機能性だけを重視した
画一的で単調なモダニズムに対して
新しい流れが生まれてきます。
多様性の尊重、伝統への回帰をうたったこの新しい流れは
「ポスト・モダニズム」と呼ばれています。
東京都庁は日本における最初期の
ポストモダン超高層ビルのひとつです。

「モダニズムの後を継ぐもの」 ポスト・モダニズム
機能性を求めてひたすら走ってきた近代建築の歴史
でも、一息ついて後ろを振り返れば
気付かなかった大切なものが見えてくる、かも・・・

時代を読み、常に自分のスタイルを変えてきた丹下先生
(ピカソといい、ル・コルビュジエといい、マイルス・デイヴィスといい
 天才といわれる人は常に変幻自在なのですかね・・・)
ここで丹下先生のもうひとつの側面
「ルネサンス者」としての丹下健三が浮かび上がってきます。





ここで再び、若き日のエッセイ『MICHELANGELO頌』(1939)。
このエッセイではル・コルビュジエをミケランジェロと並ぶ存在として
ほめたたえているわけですが・・・
つまり、丹下先生の中ではある意味ル・コルビュジエ以上に
ミケランジェロが絶対的存在として君臨しているわけです。
(「頌=しょう」って「ほめたたえる」って意味ですからね)
ここに、丹下健三の本質があるわけです。

モダニズムは、建築のあるべき姿への回帰を主張しました。
ゴテゴテと装飾のついた権威的な建築ではなく
機能に忠実な、無装飾な建築こそ、本当の建築だと主張したわけです。
この「高貴なる単純」の神話、まさに近代版「ルネサンス」です。
丹下健三はルネサンス者として、モダニズムを選んだ。
それが初期の「モダニズム建築家」としての丹下健三でした。



ところがだんだん、そうではないことが明らかになってくる。
モダニズムは「人間」を置き去りにしていました。
モダニズムが崇拝した「機能」、そこに「人間」はいなかったのです。
同じようなのっぺらぼうな姿をした建築を前にして
次第に人々の心はモダニズムから離れていきました。
その状況を見て、丹下先生は再び原点に戻っていく・・・
「ルネサンスへの回帰」ともいえるような・・・
それがこの東京都庁でした。





この都庁のデザイン上の大きな特徴が「軸線」です。
この都庁は、都庁舎のみならずその前の広場も含めて
徹底的に「左右対称」が強調されています。
ただ左右対称であるだけにとどまらず、中心となる「軸線」を
建物の壁に意識的にデザインするなど、その手法は徹底されています。
まるで、ミケランジェロなどのルネサンスの建築家たちが
黄金比や整数比、幾何学、そして左右対称に、異様な執着を見せたように・・・
上の写真でも、建物の中心を一本の黒い線が貫いているのがわかります。
そしてこの二本の塔が並ぶデザイン、意図的に左右対称を強調するために
あえてこんな鏡に映ったようなデザインにしたんじゃないかと管理人は見ています。





都庁前の広場にも軸線が通されています。
そして、この半円形に広がる広場には
中心点から放射状にラインが埋め込まれています。
まるでミケランジェロの「カンピドリオ広場」の地面に
幾何学的な模様が描かれているように・・・





なかなかいい写真がなくて申し訳ないんですが・・・
都庁展望台から見下ろした広場の全景です。
扇形に広がっていることがわかります。
そしてその周りには回廊がめぐらされています。
まるであのサン・ピエトロ大寺院の前の広場のように・・・



   

そしてこの窓・・・
・・・のように見えますが、実はこれは窓ではありません。
すべて色違いの石材でできたフェイクの窓です。
この壁面の幾何学的なデザインもルネサンス建築さながら
しかも「色違いの石で模様を作る」という手法まで同じです。
写真右はルネサンス建築「サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂」(画像はWikipediaから)
色違いの大理石を使い分けて幾何学的模様を描いています。

てな感じで見ていくと、これはもう
ルネサンス建築にしか見えないわけです。
丹下先生は、ル・コルビュジエを飛び越して
一気にミケランジェロの時代にまで戻っていった・・・

そこにこそモダニズムのなくした何かがあると考えたのでしょう。





モダニズムがなくしたもの
それが一体何なのか・・・
それが1980年代から90年代の建築が探し求めたものでした。
それが見つかったのか・・・それは誰にもわかりません。
でもとりあえず、丹下先生はミケランジェロをがむしゃらに追いかけて
そこに何かがあると希望を持って
この都庁舎をつくり上げたのではないでしょうか・・・

「東京のシンボル」に隠された建築家の深い深い哲学。
ただの建築、されで建築・・・
建築って、考え始めるときりがありません。
だから、建築っていいんです。



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2008.12.26

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