九段会館

所在地 東京都千代田区九段南
竣工 1934年(昭和9年)
設計 川本良一





さ〜これは何なんでしょう?
どういうことなんでしょう?
何でヨーロピアンなビルに瓦屋根が載ってるんじゃ!?
しかもよく見るとシャチホコまで・・・

いや、これはれっきとした様式主義の表現のひとつで
建てられた当時は大真面目な建築だったのです。
その名も「帝冠様式」、英語で Imperial Crown Style
これはその最も有名な作品のひとつです。





九段会館

旧称、「軍人会館」。
その名前が表わしているように、これは戦前に建てられた
旧日本軍の施設です。
現在は文化施設になっていますが
重々しい歴史を秘めた建築なのです。

皇居の北の丸公園の堀端
靖国神社の至近距離という抜群の立地(!?)に加え
何よりこの重厚で威圧感あふれる
それでいて意味不明なデザイン・・・





靖国通りから眺めた九段会館の全景です。
写真中央の塔は最近できた立体駐車場です。
デザインを九段会館と合わせたつもりなんでしょうが、ジャマです。
明らかにジャマです。それはいいとして・・・

帝冠様式・・・それは日本最後の様式主義の大爆発
というより一種の自爆テロ・・・
前川國男先生が檄文「負ければ賊軍」の中で
「邪道建築」と激しく罵っているのは、ズバリこいつらです。

時代は1930年代・・・
世界恐慌の大津波は日本にも襲いかかりました。
拡大する社会不安、それを利用して勢力を伸ばしたのが
大正デモクラシーのために勢力を失っていた軍部でした。
そして軍部の台頭とともに、国粋主義が日本の文化を席捲していきます。
軍部にゆがめられた伝統文化が日本を覆いました。
それが建築に現れたのが、帝冠様式でした。





重要なのは、これは日本の伝統そのままではないこと。
前近代的で繊細な日本の文化ではなく
力強く近代化を遂げた「大日本帝国」の文化なのです。
日本の伝統の優位性を継承していることを明示しつつ
近代化を遂げた力強い帝国を世界にアピールする・・・
この何とも複雑な要求のもとに生まれたのが
この世にも奇妙な「帝冠様式」でした。

当時の日本建築界では
モダニズムを標榜する若手建築家たちと
根強く様式主義を信奉する古参の建築家たちが対立していました。
そういう状況の中で、様式主義者たちが最後の一手として世に放ったのが
力強い近代日本の表現「帝冠様式」だったのです。





帝冠様式の最大の特徴は
何といってもこのあまりにショッキングな組み合わせ。
「帝冠」という名のとおり、西洋風の本体に
瓦屋根を冠のようにそのまま載せたデザインです。
現代の感覚では、もはやギャグとしか思えないミスマッチ・・・
でも、こういうトンデモ建築って、結構好きだったりします。
「自称モダニスト」の割にね・・・(どうでもいい)

現代人にとってはお笑いでも
当時は大日本帝国の威信を表す重要な存在でした。
そして、これは様式主義の建築家たちにとっても
自分たちの存亡をかけた最後の一手でした。
様式主義者たちは軍部と手を組むことによって
自分たちの生き残りを図ったのです。

建築は時に政治状況を反映する存在になりますが
この帝冠様式は、そのもっとも極端な例の一つです。
世界的に見てもこれほど異様な様式は、まさに空前絶後でしょう。



   

帝冠様式は近代的な軍部の力強さを表す様式。
そのため、力強さを演出する凝りに凝った装飾が随所に見られます。
こういう装飾はまさに様式主義の真骨頂といえます。
このいかつい鬼の彫刻も九段会館の見所のひとつ
日本の古典建築にある「鬼瓦」に近い意味合いがあるんでしょうね。
「ガオーッ!!」って感じが出てますが、なぜかちょっとマンガチック・・・



   

躯体部分は鉄筋コンクリート造りで
白い石材と茶色のタイルのツートンカラーになってます。
右の写真はタイル部分のアップ
ちょっと写真が小さいですが、細かい縦線がたくさん入ってます。
これぞ、この時代の建築を象徴する存在「スクラッチタイル」
生乾きのタイルをひっかいて(scratch)溝をつけたものです。
1920年代、30年代の建築にはこれが使われているものがとても多いのです。
スクラッチタイルについて語ると際限がないのですが
もうスクラッチタイルはそれ自体近代建築鑑賞のひとつのジャンルを形成してて
中には日本各地でスクラッチタイルの建築を追い求める
「スクラッチタイル・マニア」なる人も少なからずいるとか・・・(ここにも約一名)
ホント、実物見ると独特の質感に魅了されます。最高です。

ちなみにこの九段会館のスクラッチタイルは
一列ごとに出っ張らせたり引っ込ませたりして付けられていて
鋭い荒々しさを強調しています。
西洋風の躯体に瓦屋根という
一見するとふざけてるとしか思えないデザインの建築ですが
細かく見ていくと非常に手が込んでいます。
建築家の並々ならぬこだわりが見えてきます。



   

玄関ポーチも何とも重々しい雰囲気
必要以上に太い柱が威圧的です。
しかも一番下はさらに太くなっています。
帝冠様式は「軍服をまとった建築」とも称されますが
この柱はちょうどブーツといった感じでしょうか。

奥にはこれまた重々しい鉄扉が付いています。
右の写真は鉄扉についている浮き彫り
軍刀をモチーフにしたデザインになってますが
なんとなくインドの仏教っぽいデザイン・・・
国籍不明でカオスな建築ですが
それが逆に不思議と統一感を感じさせるというか・・・
何もかも組み合わせが奇抜で、どこにも調和がないから
そのせいで逆に違和感を感じないんですかね・・・





実際、洋風のビルに瓦屋根という組み合わせでありながら
意外と違和感を感じません。(そう思いませんか?)
全体を「力強く近代的な日本」という強烈なライトモチーフが貫いていて
そのもとに様々な細部のデザインが組み合わされているため
意外にもまとまりがあり、バラバラな感じがしません(よね)。

「日本の伝統」と「力強い近代化」という
相容れない二つの表現を追求していった結果
そのどちらにも似ているようで、どちらとも似ても似つかない
こんなミノタウロス的な怪物が生まれてしまったわけです。
ホント、ミノタウロスですよね。頭が牛、体が人間・・・



次のページでは、九段会館の歴史と
九段会館の意外なもうひとつの顔を紹介します。



九段会館 2ページ目

2008.8.3

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