小出邸

所在地 (旧所在地)東京都文京区西片
(現所在地)東京都小金井市小金井公園内
竣工 1925年(大正14年)
1998年(平成10年)移築
設計 堀口捨己



小金井市の江戸東京たてもの園には
江戸時代から昭和までの様々な木造建築が移築されています。
藁葺き屋根の農家から、ヨーロッパ風の洒落た邸宅まで・・・
その中に、日本のモダニズムの夜明けを告げる
ひとつの住宅が移築されています。





小出邸



建てられたのは今を去る80年以上も昔
設計したのはひとりの若い建築家
その前の年にヨーロッパ留学から帰国したばかりでした。



彼の名は堀口捨己(すてみ)(1895〜1984)
「捨己」なんてずいぶん変わった名前ですが
この名前は、彼を読み解くキーワードでもあります。

「捨己」、返り点を打って読み下せば「己を捨てる」。
つまり古い自分自身を捨てて、常に新しい自分でいる、という感じでしょうか。

東京帝国大学を卒業したステミ青年は
おそらく、当時もっとも革新的な発想を持った建築家のひとりでした。
1920年、彼は級友と日本初の近代建築運動である「分離派建築会」を結成します。
「分離派」、ドイツ語で「ゼツェッシオン」、英語で「センセーション」です。
「ゼツェッシオン」は19世紀末のドイツで起きた芸術革新のムーブメントですが
この「分離派建築会」とは直接の関係はありません。
ステミ青年は「建築は一つの芸術である」をスローガンに
多くの奇抜で革新的な建築案を示していきました。
「大学で学んだ古い建築だけでなく、斬新な建築を提案する」
これが最初の「捨己」といえます。





1923年、ステミ青年は海を渡ります。
ヨーロッパに留学し、各地の建築に接しました。
ギリシャ・アテネのパルテノン神殿に対面したときには
「アジアの東のはしの育ちには、歯のたつものではないことをはっきりと知らされた」
と強烈なショックを受けたことを語っています。

彼が特に長く滞在したのが、オランダです。
当時オランダでは「デ・スティル」という芸術革新運動が
大きな展開を見せていました。
『コンポジション』で有名な抽象画家ピエト・モンドリアンが中心となり
「色」と「形」の美しさを追求した抽象的な芸術が花開きました。
ステミ青年も、多くのデ・スティルの芸術家と交流を持ったそうです。
そして、この留学は後の彼に大きな影響を残しました。
小出邸は、その留学から帰国した直後に設計された作品です。



   

この家にはデ・スティルの影響が各所に見られますが
そのひとつが家全体の抽象的な形です。
直方体とピラミッド型の四角錐が組み合わさった形で
純粋に幾何学的な立体の組み合わせによる造形が追求されています。
急傾斜の瓦屋根は、オランダで見た住宅を日本の素材で再現したものです。



   

玄関のポーチにも、デ・スティルのデザインが表れています。
直線と幾何学図形の組み合わせによる抽象的な構成は
ピエト・モンドリアンの絵画を連想させます。
(モンドリアンの絵も載せたかったんですけど・・・著作権がね〜
  どういう絵だか知りたい方は、申し訳ありませんがググれ)





しかし中に入ると、意外な光景
なんと、和室です。
球の形の照明がユニークですが、純然たる和風の居間です。



   

でも、ここでちょっと見方を変えてみてください。
「これは和室だ」というステレオタイプを捨てて見てみると
どうですか? 実はこの部屋も非常に抽象的な構成になっているように見えませんか?
直線の組み合わせによる構成は玄関ポーチと比べても違和感がありません。
モンドリアン風に『白と緑によるコンポジション』てな感じで絵になりそうです。
畳も直線で区切られた面による「コンポジション」です。
ステミ先生は、古典的な日本建築の中に
抽象的なデ・スティルの世界を見出したのかもしれません。
「新しいものだけを追求する自分を捨てて、古きに新しきを見出す」
これが2回目の「捨己」といえます。



   

ピアノの置かれた応接間は
和風でも洋風でもあり、そのどちらでもないという不思議な空間
壁の直線が天井にまでつながり、直角に交差しています。
箔貼りのメタリックな空間が大正時代とは思えないほど近未来的ですが
実はこれも日本古来からある技法です。



   

階段や廊下にもデ・スティルの影響が見られます。
直角に交差した直線の組み合わせが
抽象的なデ・スティル風の空間を演出しています。



   

2階にはもうひとつ和室があります。
1階の和室とは違う、鮮やかなエメラルドグリーンの塗壁が特徴的です。
実物は写真以上にドギツくて鮮やかな色です。





美しいデザインの障子が抽象美を放ちます。
ヨーロッパの芸術家が探し求めていた「抽象の美学」を
ステミ先生は帰ってきた日本で見つけたのかもしれません。

ヨーロッパ近代と日本の伝統の融合は
その後のステミ先生の建築哲学の基礎となり
その発想は、やがて戦後の大作、明治大学の校舎など
多くの作品につながっていきます。





ヨーロッパ近代と日本の伝統の間で生まれた
抽象の美学の詰まった邸宅
小出邸でした。



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2008.5.11

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