国立代々木競技場
第一体育館

日本におけるDOCOMOMO100選
日本の近代建築20選

所在地 東京都渋谷区神南
竣工 1964年(昭和39年)
設計 丹下健三



東京オリンピック
それは、日本現代史上の一大イベント。
敗戦からの驚異の経済復興を成し遂げた日本を
全世界が強烈に認識した出来事でした。

そして同時に、東京オリンピックは
日本建築界が一躍世界のトップレベルに躍り出るきっかけにもなりました。
のちに「世界のタンゲ」と呼ばれることになる、一人の天才建築家がつくり上げた
伝説的な名作とともに・・・





国立代々木競技場 第一体育館



1964年の東京オリンピックに合わせて
水泳競技場として建設されました。
設計したのは「日本建築界の帝王」丹下健三(1913〜2005)
設計を行った当時(1961)、丹下先生は48歳
母校、東大工学部の助教授を務めていました。

まさに、この作品によって、丹下先生は「世界のタンゲ」となり
日本建築界は世界のトップレベルに躍り出ることとなったのです。
これほどまでに世界の建築界に巨大な影響力を及ぼした単一の建築作品は
まさに空前絶後の存在だと言えます。





この建物は何がそんなにショッキングだったのか・・・
それはこの「屋根」の構造です。
こちらは体育館の入口の上の方の写真。
パッと見でもすでに尋常ではないことはお分かりいただけると思いますが・・・

この屋根は、柱で支えられていません。
ケーブルで吊り下げられているのです。
これが世界を驚嘆させた「吊屋根構造」です。

と言っても、実は吊屋根構造を最初に考えたのは
丹下先生ではありません。
最初にこれを考えたのは、何を隠そう20世紀建築の神
ル・コルビュジエその人です。
なぜ丹下先生はこの体育館で吊屋根構造を選んだのか・・・
それは若き日の丹下先生が、建築家を目指すきっかけとなった
ある作品との出会いにまでさかのぼります・・・



   

その作品こそ、ル・コルビュジエの幻の超大作
ソビエト宮殿 Palace de Soviet」コンペ案(1931)です。
この作品でル・コルビュジエは、大劇場の巨大な一枚屋根を
巨大な梁と放物線アーチによって吊り下げるという
それまでだれも考えなかったような、驚くべき案を出しました。
この案は当時の建築界に大きなインパクトを与えましたが
スターリン体制下のソビエトに前衛的なデザインが受け入れられず、落選。
この驚異の作品は実現することはありませんでした。

それでも、この作品の影響力はかなりのものでした。
若き日の丹下青年は建築雑誌でこのソビエト宮殿の完成予想を見て
ル・コルビュジエに心酔し、建築家になることを決意したといわれています。
丹下青年のル・コルビュジエ崇拝は(管理人並みに)並々ならぬものがあり
エッセイ『MICHELANGELO頌』(1939)ではル・コルビュジエを
ミケランジェロの後継者の如く神格化して語っています。
この『MICHELANGELO頌』読むとですね〜 実にアツいです。
今風に言ったら「中二病」と紙一重のレベルです。っていうか中二病です。
それほどまでにル・コルビュジエを崇拝していたんですね〜 丹下青年は・・・
これは負けてられんな・・・



そんなこんなで建築家となった丹下先生ですが
初期の作品にはやはりル・コルビュジエの影響が濃厚に表れています。
ル・コルビュジエが用いた、人間の体に合わせた独自の寸法「モデュロール」の
日本人バージョンを作ってみたりと(オリジナルよりちょっと小さめです)
ル・コルビュジエへのアツい思いはとどまるところを知りません。
そして、この才能豊かでやたらアツい若手建築家のもとに
東京オリンピックという一大国家プロジェクトの話が舞い込んできます。
ここで丹下先生は、未完に終わったソビエト宮殿に捧げるように
この巨大な吊屋根の体育館を作り上げたのです。





この体育館の吊屋根は、基本的につり橋とおなじ原理です。
2本の主塔の間に渡したケーブルが背骨になっていて
そこから左右の縁にまたケーブルが渡され、屋根になっています。
ケーブルの描く懸垂曲線が非常に美しい建築です。
シルエットはまさにつり橋と同じ形です。



   

入口部分では背骨のケーブルを見上げることができます。
屋根は本当にペラッペラな幕のような感じになっています。
写真では伝わりにくいですが、本当にバカでかい建築です。
下から見上げると圧倒的なものがあります。
人間ってここまでとてつもないものを造れるのか・・・





この開口部の巨大な構造体も圧巻です。
これホントすんごいでっかいんですよ!!
一番下に並んでる扉の大きさと比べてみてください。
こういうダイナミックな造形は、丹下先生をサポートした
構造設計家の坪井善勝の力によるところが大きいです。
ホント、ちょっと怖いぐらいの迫力です。



   

これが「アンカー」
背骨のケーブルの両端にあって
ケーブルを左右にグーッと引っ張っています。
この二つのアンカーで屋根全体を引っ張り上げているわけです。
このアンカーは完成以来ずっと、そしてこの建物が存在する限り
絶えずとてつもない張力に耐え続けなければならない宿命を背負っています・・・
今この瞬間にも、こいつにはものすごい力がかかっているわけです。
異様な緊張感があります・・・空気までビリビリしているというか・・・
にわかには近づきがたいものがある・・・





そしてこちらは観客席の部分
ここが背骨から左右に伸びる細いケーブルの終点です。
ちょうどケーブルの端っこにフックが付いていて
それが円盤に引っ掛かっているような形をしています。



という感じで、この建物は徹底的に
「力学の秩序」に支配されています。
建物のあらゆる部分にあらゆる方向から力がかかり
全体にビリビリとした緊張感が漂っています。
この緊張感、たまりません・・・

これぞまさに「構造表現主義」
建築の構造の持つ力強さを大胆に表現した建築です。
特にこの体育館は「ワイヤー」という珍しい構造の持ち主
「線で引っ張って支える」という独特な構造は
柱と梁で下から支える建築とは一味も二味も違う
独特の張り詰めた緊張感を放ちます。
丹下先生はこの特徴的な構造を最大限に生かして
究極の緊張感を持った建築を作り上げたのです。





"Form follows Function."「形態は機能に従う」
まさにモダニスト丹下ならではの究極の造形表現です。
また、こういうダイナミックな構造は高張力ケーブルなど
最先端技術なくして成り立ちません。
過去にとらわれず、最新の技術を惜しげもなくつぎ込み
まだ世界が見たことのない新しいものを作り上げる。
これぞまさにモダニズムの精神です。

でも、実は・・・
この建物はそれだけではありません。
単なる構造表現主義に終わらないところが
「帝王」丹下健三のずば抜けたところです。
彼もまた、崇拝したル・コルビュジエと同じように
「機能主義者のふりをした芸術家」だったのです・・・



次のページでは丹下のデザインを紹介します

2008.12.23

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